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陸前高田のボランティア/現状編

5月末、会社を2日休んで、3泊5日で陸前高田の震災ボランティアに参加してきました。

震災後、ずっとボランティアをしたいと思っていましたが、どうやればいいのだろう?と思ったまま時が過ぎ…。そんなとき、以前より勉強会などに参加させていただいていた難民支援協会(JAR) で、難民と行くボランティアを企画しているというお知らせをいただき、そちらに参加しました。

今回は、頑強なクルド人難民4人(男性)を含む、約20人での活動です。

 クルド人参加者の腕! ちなみに彼らはまだ難民認定が下りておらず、在留認可も得ていません(これは不法在住とは違います。難民申請中で、まだ申請に許可が下りていないというだけです)。日本では、難民申請が本当に下りにくく、何年も待たされた挙句、許可されないというケースもたくさんあります。

この難民の方々のお話は、また改めてまとめたいと思います。

木曜22時に東京・四ツ谷に集合し、バスでいざ、陸前高田へ。バスは団体で貸し切り、1晩かけて彼の地へ向かいます。

陸前高田市は岩手県にあります。三陸海岸の北に位置し、湾が奥まっているため津波が大きくなり、場所によっては20メートルもの波が襲ったという、今回の被災地の中でも特に「壊滅的」と言われた地域のひとつ。市の人口の10分の1にあたる2300人以上が死者・行方不明者となったという地域です。日本百景のひとつであった松林が失われましたが、1本だけ松が残り「奇跡の一本松」として報道されたので、耳に残っている人もいるかもしれません。

訪れ、実際に感じたのは、「お金だけでは解決しない。人が動かなければ」という気持ちでした。



何かの競技場跡? すっかり海に飲まれています。



かつては民家があった場所。まるで干潟のようで、ここに人が住んでいたとは想像しにくい。手前に道路があることから、決してここが人がいなかった場所ではないことがうかがえます。



廃車は一箇所に集められています。この中には、もちろん中から遺体が発見された車も含まれているはず。約3カ月で、多くの車を一箇所に集めてしまったのは、もしかしたら素早い復興のシンボルなのかもしれません。が、この光景は寒々しく、墓場のようでした。

 こんな大きな看板もなぎ倒されています。パチンコや大型店かなにかの看板? ということは、そこに店もあったはずですが、跡形もありません。

 こんなに大きなものが、波で流されてくるのです。


 電柱は津波が襲ってきた方向に向かって倒れています。



とある団地は、4階までは完全に流されているけれど、5階はほとんど無事。津波の到達点が分かるのと同時に、今回の被害が、揺れによる倒壊ではなく、波だったことを改めて感じます。



海沿いに比べて、やや被害の少ない地域。“やや被害が少ない”でこれです。要するに、物は残っているという意味。



私たちの作業した地域は、さらに被害が少ない地域。といっても、畑にどこかの家の屋根がひっくり返っていたり、民家は枠組みを残して中の物は流されてしまっています。ただ、家屋の形が残っているという意味で、被害が比較的少ないということらしいです。また、この地域一体、畑も家もダメになってはいますが、死者はゼロでした。

もともと過疎が進んだ地域だったため、住んでいるのはお年寄りが多く、その上、働き手となる人たちで亡くなったり行方不明になっている方も多いよう。そのため、被害地域の瓦礫撤去などの作業をする人が本当に少ない。今回、私たちにボランティア依頼してくださった方(陸前高田のボランティアセンターに「ボランティアに来てほしい」と申請をし、私たちが派遣されました)も、すべて片付けるのには3〜5年かかると言っていました。

集まったお金で人を雇えばいいと思うかもしれませんが、どの自治体も生きている人をどうケアしていくか、まずは立て直すことに必死で、県外や県内の他地域から多くの人を雇って、オーガナイズしコントロールする余力はまだないと感じました。そういう人たちを住まわせる場所も用意できないし。もちろん、政治によって立ち直っていく、現地の人たちが自分たちで立ち上がるのが、復興の第一条件ではあります。他人にできることは小さい。けれど、それができるのはまだ先だし、集まった義援金をうまく使えないという報道に「なんで?」と思ったけど、今は「そうだよなー」という気持ちになりました。もちろん、そのお金を使って復興していかれる日は来るはずですが、今ではないと感じました。

GWに7日間、石巻にボランティアに入ったという友人sちゃんが、「ボランティアが足りない。もっともっと多くの人が参加するべき!」と熱く語っていましたが、たった3日ですが、ボランティアを経て私も同じ気持ち。「できる範囲、ムリをせずに」という言葉も聞くし、考え方は人それぞれだとは思いますが、未曾有といわれる被災地を目にして、私は、みんなが少しずつ、できる範囲よりも無理をして行動しないと、これは終わらないというのが、現地入りした感想です。
本当は、全国の高校、大学のカリキュラムを2週間ずつくらい削って、半強制的に学生はボランティアに行ってほしいくらい!

そうは言っても、時間や体力が許さない…と思うかもしれませんが、私にもできました!
そういうボランティアの話は、つづく編…でお伝えします。

長々と失礼しました。

JUGEMテーマ:ボランティア
 

at 20:00, , ボランティア

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mayu, 2011/06/07 10:45 PM

車の写真で、津波の取材に行った先輩の話を思い出しました。
ご遺体が座った状態で硬直してしまうからお棺が閉まらないとか、
もう言葉もなかったです。
あー!なんともいえない!

海, 2011/06/07 11:14 PM

取材で入ると、悲惨な現場がメインだから、特につらいエピソードが多いだろうね。
被災者に当時の話を聞くと、やっぱり言葉は出ませんでしたが、想像していたよりずっと、みんな前を向き始めていたよ。ボランティアの場合、一緒に活動する人たちも、少しでも役に立とうとポジティブだから、むしろ元気をもらって帰ってきた気がする。










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