以前、ブログで取り上げさせていただいた、オートレーサーの坂井宏朱選手が永眠されました。
1月15日、船橋オートレース場で、試合後に練習走行中、落車しフェンスに衝突。そのまま亡くなりました。
仕事で、候補生時代に一度お会いした縁で、デビュー戦も観にいき、ずっと応援していました。
それが、こんな形でお別れになってしまうのは、本当に悲しいです。
本日、増上寺で行われた告別式に参列しました。葬儀場はオートレースの思い出の写真がいっぱいでした。ご両親は、気丈にふるまわれ、オートレーサーとして夢を駆け抜け、多くの人から愛された娘を誇りに思うと話されていました。
親族の方々が気丈にふるまわれる分、同期のレーサーたち、とりわけもうひとりの女性ライダーで、まだ19歳の佐藤選手が涙を止められない姿が痛ましく感じました。佐藤選手のお別れの言葉で、「宏朱ちゃんとは、いっぱい約束をしたよね。覚えていてくれてるかな? 2人で頑張って憧れられるような選手になって、女子選手がいっぱい入ってきてくれるといいねといいました。これからも一緒に頑張ろうね」などと、涙声で語る姿は、本当に切なかったです。
霊柩車が出るとき、同期生たちは泣き崩れる人もおり、「宏朱!」「絶対忘れないから!」など、叫んでいました。佐藤選手も、最後まで号泣していました。
命が失われて、改めて、坂井さんという人の、温かい特別な存在感を知りました。
船橋では、みんなが坂井さんを早く一人前にしようと、多くの選手が直接アドバイスをしたり、指導したりしたそう。これまでそのような選手はおらず、坂井さんの存在が、船橋を「みんなで盛り上げよう」とひとつにしていたそうです。
実力がなかったのに、話題づくりのためにレーサーにされたというようなことを言う人もいますが、私はそうは思わないようにしています。やれると思ったから、みんなが厳しく指導したと思うし、本当に今回は不運だったけれど、この事故がなければ、少しずつ進歩していってくれたと思います。
オートレースは、過去にも大きい死亡事故はあったそうで、そういった事故がなくなる努力はしてほしいけれど、これで女子選手への門戸が閉ざされるとしたら、それは彼女の本意ではないはず。そういう、極端な反応はしてほしくないです。
喪主をつとめたお父様は、若くして亡くなったことに関してはつらいけれど、憧れのオートレーサーになり、憧れの永井選手に教わり、充実した毎日を送っていた、夢に向かって駆け抜けた人生に後悔はないはずとおっしゃられていました。娘を奪う形になったオートレースを、そのように肯定できるのは、ほかでもない坂井さんが、ご両親に自分が充実しているということ、周囲の人によくしてもらっているということを、きちんと伝えていたからだと思います。
最後に、坂井さんは、生前から臓器提供の意思表示をしており、内蔵は損傷してだめだったけれど、目は両目ともきれいな状態だったとのことで、18日、葬儀の前日、無事に2人の方に移植されたと発表されました。死して尚、人の役に立ちたいと行動された坂井さんの心の清らかさ、強さに感銘を受けるとともに、彼女の意志を尊重し、臓器提供をされたご両親にも尊敬の念を抱きます。この親だから、あの子ども…と思いました。
こんなに素晴らしい選手が、27歳という若さで去っていってしまうのは、胸を引き裂かれる気持ちです。
これからも、天国の坂井選手と一緒に、佐藤選手や31期の方々を応援したいと思います。
同期の方々が挨拶で、「休めといっても、努力家の坂井は休まないと思うけど…」と言っていましたが、安らかにお眠りください。